明日、1月31日は、用務員の中村さんの「大切な命の記念日」。
今日の給食のとき、みんなでお祝いしました。
「中村さん、お誕生日おめでとうございます。」
日めくりカレンダーには、
「学校の中で休けいしている中村さんを見たことがありません。
いちばんの働き者です。」
と、校長先生からのメッセージ。
校内の整備、給食の準備や片付け等、いつもありがとうございます。
さて、先週の金曜日のこと。
昭和30年から6年間、
本校にお勤めになった村田 英(すぐる)先生の奥様と息子さんが来校されました。
息子さんは、熊切で生まれたそうです。
「『とびっきり!しずおか』を見て、熊切、熊切小が懐かしくなり、
閉校までに一度訪ねたいと思っていたんです。」と、奥様。
なかよしホールに、昔の写真を掲示していますが、
その中にお父さんの姿を見付け、息子さんは大変感激していました。
「担任ではなかったけれど、村田先生の話はとてもおもしろかった。
体育が得意な先生で・・・。息子さんに、村田先生の面影があるよ。」
と、用務員の横道さん。
・・・子どもたちのおじいちゃんの世代が、村田先生にお世話になっているようです。
村田先生がお亡くなりになった後、
教え子たちが先生を偲んで、先生の思い出を綴った文集。
それを、奥様がお持ちくださいました。
熊切小の教え子の中から、山本順治さんのものを紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「思い出 村田英先生」 山本順治
私の学んだ熊切小学校は、四方を大きな山に囲まれ、
南側に高塚山、秋葉山を望む静かな山間の学校でした。
休み時間、先生がトイレからもどる時、山鳥を見つけ、
近くの石を拾い力強く投げつけると、羽根の付け根に命中したという。
探したが見つからずに断念、放課後に探すことにした。
手に手に棒を持ち、ワイワイガヤガヤ。
夕日も落ち、諦めかけた時、頭を枯れ木の茂みに入れ、
尾だけ出した山鳥を発見、捕獲。
翌日、「明日は飯だけの弁当を持ってこい。おかずは山鳥の煮付けだ。」
昼食、奥様がなべを運んで来られ、みんなでいただきました。
前夜、教員宿舎で酒盛りがあり、残りは少なく、もう少し食べたかった。
先生は、熊切小で6年間教鞭をとられ、
私たちはじめ多くの姉弟に影響を与え、印象を残して帰任されました。
子どもたちには勿論、親たちに町の人にもそうでありました。
正義感と責任感を強く訴える大きな声、大粒の汗、
なかなか消せない黒板の力強い字。
私たちの人生の中での強いインパクトは、決して消えるものではありません。
師の教えは、脈々と活き続けています。
町の人たちに親たちに、そして、私たちが受け、その子らに伝えられています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
村田先生の奥様、息子さんを囲んで、みんなで写真を撮りました。
「今日は訪ねてよかった。」と、奥様と息子さん。
もしよろしければ、閉校式にもお出かけください。
今日の給食のとき、みんなでお祝いしました。
「中村さん、お誕生日おめでとうございます。」
日めくりカレンダーには、
「学校の中で休けいしている中村さんを見たことがありません。
いちばんの働き者です。」
と、校長先生からのメッセージ。
校内の整備、給食の準備や片付け等、いつもありがとうございます。
さて、先週の金曜日のこと。
昭和30年から6年間、
本校にお勤めになった村田 英(すぐる)先生の奥様と息子さんが来校されました。
息子さんは、熊切で生まれたそうです。
「『とびっきり!しずおか』を見て、熊切、熊切小が懐かしくなり、
閉校までに一度訪ねたいと思っていたんです。」と、奥様。
なかよしホールに、昔の写真を掲示していますが、
その中にお父さんの姿を見付け、息子さんは大変感激していました。
「担任ではなかったけれど、村田先生の話はとてもおもしろかった。
体育が得意な先生で・・・。息子さんに、村田先生の面影があるよ。」
と、用務員の横道さん。
・・・子どもたちのおじいちゃんの世代が、村田先生にお世話になっているようです。
村田先生がお亡くなりになった後、
教え子たちが先生を偲んで、先生の思い出を綴った文集。
それを、奥様がお持ちくださいました。
熊切小の教え子の中から、山本順治さんのものを紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「思い出 村田英先生」 山本順治
私の学んだ熊切小学校は、四方を大きな山に囲まれ、
南側に高塚山、秋葉山を望む静かな山間の学校でした。
休み時間、先生がトイレからもどる時、山鳥を見つけ、
近くの石を拾い力強く投げつけると、羽根の付け根に命中したという。
探したが見つからずに断念、放課後に探すことにした。
手に手に棒を持ち、ワイワイガヤガヤ。
夕日も落ち、諦めかけた時、頭を枯れ木の茂みに入れ、
尾だけ出した山鳥を発見、捕獲。
翌日、「明日は飯だけの弁当を持ってこい。おかずは山鳥の煮付けだ。」
昼食、奥様がなべを運んで来られ、みんなでいただきました。
前夜、教員宿舎で酒盛りがあり、残りは少なく、もう少し食べたかった。
先生は、熊切小で6年間教鞭をとられ、
私たちはじめ多くの姉弟に影響を与え、印象を残して帰任されました。
子どもたちには勿論、親たちに町の人にもそうでありました。
正義感と責任感を強く訴える大きな声、大粒の汗、
なかなか消せない黒板の力強い字。
私たちの人生の中での強いインパクトは、決して消えるものではありません。
師の教えは、脈々と活き続けています。
町の人たちに親たちに、そして、私たちが受け、その子らに伝えられています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
村田先生の奥様、息子さんを囲んで、みんなで写真を撮りました。
「今日は訪ねてよかった。」と、奥様と息子さん。
もしよろしければ、閉校式にもお出かけください。