浜松市では、毎年6月12日を「いのちについて考える日」としています。
そこで本校では、今朝の朝会を「いのちについて考える」機会ととらえ、各学年の代表児童に「いのちについて、道徳の授業を中心に考えたこと」を発表してもらいました。
事前には、道徳教育推進担当の刑部先生から全校児童に対して、今回の趣旨が説明されました。
では、発表順に紹介します。
【1年生代表】
わたしは、どうとくの「いのちのはじまり」というじゅぎょうで、いのちについていろいろなことをしりました。それは、あかちゃんとおかあさんは、へそのおでつながっているということです。
へそのおは、おかあさんからあかちゃんへえいようをおくっています。せんせいは、おなかにあかちゃんがいたとき、あかちゃんをしんぱいして、くすりをのまないようにしていたそうです。わたしのおかあさんは、わたしがうまれたとき、たいちょうがよくなかったそうです。でも、おかあさんたちは、あかちゃんがげんきに、おおきくなるように、まもったりねがったりしてくれています。わたしは、おかあさんが、どんなときもいのちやこころをだいじにしてくれているのが、うれしかったです。
これから、やさしいひとになって、じぶんのいのちをだいじにしていきたいです。
【2年生代表】
わたしは、いのちはたいせつだとしっていたけど、このべんきょうをしたら、どうしていのちがたいせつなのかが分かりました。いのちがなくなったら、せいちょうかいだんがのぼれなくなるし、たのしいことやうれしいことなどもできなくなるし、これまでの思い出もなくなってしまいます。
わたしは、これからいのちをたいせつにして、みんなとたくさんあそんだりおはなしをしたりして、たのしいことをふやしていきたいです。3年生、4年生でやるりかやしゃかいのべんきょうがたのしみです。
じぶんだけでなく、ささえてくれている人たちもたいせつにしないといけないことも分かりました。
【3年生代表】
3年生になって、理科や道徳で「命」について考えました。
理科では、モンシロチョウの卵からよう虫になるところやキャベツの葉をもりもり食べて育つところ、何日もさなぎですごすところ、だっぴをしてとび立つところをみんなで見てきました。ちょっと前に誠治先生が、アゲハチョウのさなぎを教室においてくれて、今週月曜日の昼休みに教室から見送りました。風の強い日だったけれど、一生けんめいとんでいきました。生きているんだなとかんじました。
つぎも人いがいの命のことを話します。メダカやアゲハチョウ、モンシロチョウ、いろいろな生物が生きています。その命があるから今もなかよく生きていると思います。ツバメも、生物すべてがとくぎを持ち、みんなが命がけの世界をがんばって生きています。そして、いつかなくなっていくけど、その前にこどもを生んでいます。そのくりかえしで、がんばって生きているのです。これからも、一つ一つの命を大切にしていきたいです。
【4年生代表】
命の大切さについて、みんなで話し合いました。命は、わたしが成長するたび命もいっしょに成長します。いつも自分を見守ってくれている感じがして、いつもえ顔になります。
この道徳の時間に、「命はこんなにも大切なんだ!」と気づけてうれしかったです。
【5・6・7組代表(4年生)】
わたしは、どうとくでおばあちゃんとの思い出をべんきょうしました。さいしょ、しゅじんこうのおばあちゃんがなくなってしまい、かわいそうだとかんじました。しかし、おばあちゃんは、いなくなっても、しゅじんこうの心の中で生きていることをしりました。
わたしのおじいちゃんやおばあちゃんは生きています。だけど、いつもわたしの心の中でわたしをおうえんしてくれています。とてもうれしい気もちになります。みんなの心の中にはだれがいますか?どんなことばをかけてくれますか?みんなだれかにささえられていることをわすれずに、命をたいせつにしましょう。
【5年生代表】
私の大切なたからものは、2ひきの犬です。名前は「もも」と「さくら」、親子です。2ひきともじんぞうが悪く、きまった食べ物しか食べられない生活を送ってきました。おやつも制限されていて、ふつうじゃない生活でした。
ももが19さい、さくらが17さいになりました。6月、ももが天国に旅立ちました。さくらは、ももがいないことに最初は気づきませんでした。1週間ほどたったある日、さくらは一気に元気がなくなりました。私は生き物が死んでしまった悲しみを知らなかったため、なみだが止まりませんでした。「ももは生きていて楽しかったのかな…」、そう思うようになりました。ももがいなくなって1か月ほどたった時、私は思いつきました。「さくらとの思い出を日記にしよう」、そう思ったのです。
ももがいなくなってから1年がたとうとした4月、さくらが天国へと旅立ちました。ももは20さい、さくらは18さいでした。犬のじゅみょうが短いことは分かっていたのに、「もっと遊びたかった」「いろんな場所に連れて行ってあげたかった」と、こうかいばかりするようになりました。そして、私はふと思いました。「さくらとももは、私が苦しんでいるすがたを本当に望んでいるだろうか?」。それからは、ももとさくらのために、1日の幸せを記録するようにしました。またいつか会う時のために。
私の命のたからものは、「もも」と「さくら」です。それは一生忘れない、ずっと変わらない思い出でできています。
【6年生代表】
6年生の道徳の教科書には、「生かされている」という詩がのっています。この詩の中で、私が好きな部分は、
受けつがれてきた いのち
父がいて 母がいて
生を受け 育まれ
はかり知れない つながり
無量の縁に 支えられ
今 ここにいる
という部分です。その理由は、お母さんとお父さんがいて、大切に育ててくれているから、私はここにいるのだと実感できるからです。「生かされている」とは、お父さんとお母さんに支えられ、生きていることはムダではないという意味だと思います。
私の命が「生かされている」ものだと思うと、1つしかない命をムダに使わず、大切にしながら精いっぱい生きていきたいと思いました。
「わたし」を大事にすること。「すぐそばにいる人」を大事にすること。その「つながり」を意識すること、感謝すること。そんなことを改めて考えました。
保護者の皆さん。ぜひ、各家庭でも互いの結びつきやこれまでの育ちについて話題にしてあげてください。よろしくお願いします。(文責;教頭)