週明け月曜日です。さほど強いものではありませんが、朝からずっと雨が降り続いていましたね…
さて、今朝は全校朝会で学校が動き始めました。本日が「いのちについて考える日」ということで、
今回の朝会は、教員や仲間たちの声を聞き、「命の大切さ」について考える機会となりました。
※ 浜松市内の公立学校では、毎年6月12日を基準日として「いのちについて考える日」を設定し、いじめの問題や命の尊さ、人間としての尊厳について考える取り組みを実施しています。
(↑)校長先生及び道徳教育推進担当の谷田先生から話があった後、各学年・学級の代表者が、道徳の授業を通して考えたことを発表してくれました
[1年生代表]
どうとくの じゅぎょうで、いのちに ついてかんがえました。
ぼくは、いきているから わらうことが できるし、なくことも できるなあと かんがえました。それに、いきて いるから ともだちと うたったり、なかよく あそんだりできて たのしいなと おもいました。
くらすの みんなと かんがえを だしたら こくばん いっぱいに なりました。みんなが いきていて みんなで かんがえたから うれしいきもちに なりました。
つぎに、 じぶんのからだを さわりました。ぼくの ほっぺたは ぷにぷにしていました。あたまを いいこいいこすると うれしくなりました。むねを さわると あったかくて、どくどく していました。 ほんとだ、いきているんだなあと おもいました。
ぼくは じぶんの いのちも みんなのいのちも もっと たいせつに していきたいなと おもいました。
[2年生代表]
ぼくは、なぜいのちがたいせつなのかをかんがえました。いのちは1つしかなくて、お母さんが生んでくれたから、たいせつだと思います。みんな生きているから、たいせつだと思います。いのちは、だれかにもらうことができない自分だけのものです。だから、いのちはたいせつにしなきゃいけないと思います。
いのちをらんぼうにつかうと、きけんになったり、きずついたりしてしまいます。わるいことばを言うと、言われた人はきずついたりいやな気持になったりします。だから、人をきずつけるのは、だめだと思います。
ぼくは、いやなことを言わないようにして、ぼくのいのちも、みんなのいのちもたいせつにしていきたいと思います。
[3年生代表]
わたしの命『産んでくれてありがとう』
わたしの命について考えたとき、お母さんとの話を思い出しました。ある日、わたしがお母さんに、「お母さん、わたしを産むのって大変だった?」とたずねると、お母さんは、「うん。大変だったかなあ。でも、生まれてきてくれたときはうれしかったよ」と言ってくれました。そのとき、わたしは、お母さんがそのような気持ちで産んでくれたのだと分かり、うれしくなりました。
でも、生まれてからは心ぱいすることもあったそうです。「ねがえりをうたないし、毎日歩こうとしてがんばっちゃうし」と、わらいながら話してくれました。お母さんはこんなに心ぱいをしながら、一生けんめいわたしを育ててくれていたんだと思いました。
わたしも、いつか大人になって子どもができたら、お母さんのように子どもを心ぱいしてあげられる、やさしいお母さんになりたいです。
[4年生代表]
ぼくは、『おばあちゃんとの思い出』を聞いて、一度命をなくしたら生き返ることも、生きることもできないから、一度きりの命を大切にしようと思いました。友達や家族を大切に、悲しませずに生きようと思いました。
一つの命を大切に楽しく生きて、たくさん遊んだり、運動したり、勉強したり、いろいろなことをして、交通ルールを守ってがんばって死なずに生きようと思いました。虫や鳥などももっている命は一つだから、殺さずに生きようと思いました。
ぼくは、命を大切にしながら、毎日を生きようと思いました。
[5・6・7組代表]
ぼくは生き物をたくさんかっています。どの生き物もたいせつにしています。いっしょにあそんだり、ようすをかんさつしたりしています。もしも、この生き物たちがある日とつぜん死んでしまうことがあったら、とてもかなしいです。これまでだいじに育ててきたからです。
それはかぞくにも同じことが言えるとおもいます。ぼくもお父さんやお母さんに大切に育ててもらっています。きっと自分に何かあったらお父さんもお母さんもかなしむとおもいます。だから、自分のいのちは大切にしていかないといけないとおもいます。そして、自分のいのちのほかにも、かぞくやまわりの人のいのちも大事にしていきたいとおもいます。
いのちは一つしかないものです。みんなが大切に育ててきたものです。だから、これからもたくさんのいのちを大切にしていきたいと思います。
[5年生代表]
道徳の授業「オオカミから教えられたこと」」では、「生きる」とはどういうことなのかをみんなで考えました。
旭山動物園の園長だった坂東さんは、年老いたおばあちゃんオオカミを何が何でも助けようとしたその「思い」は良かったなと思います。しかし、坂東さんがオオカミの気持ちを考えてなかったその「やり方」は間違っていたのではないかと思います。治りょうのためといって薬を与えられることは、オオカミにとってうれしかったのかもっと考える方がよかったと思います。
この授業を通して、「生きる」とは、自分の命を輝かせながら生きていくことだと思いました。自分の望んだ生き方で、命を輝かせながら生き、自分の命を全うすることで、最期は輝きながら死ぬことができると思います。
ぼくは、全ての生き物が自分の命を輝かせながら生き、自分が納得できる生き方ができるといいなと思いました。そしてぼくは、輝いて生きる姿を最後まで優しく見守っていきたいです。
[6年生代表]
命は、お父さん・お母さん・みんながいること、生きていることで昔から受けつがれている。この世界で、自分が何よりも大切にしなければならないものだと思います。
命には、はかり知れないつながりがたくさんあり、これからも受けつがれていくものだからこそ、命は大切にしなければならないと思います。
私たちが生きて、食事ができているのは、たくさんの命を毎日もらっているからです。だから、そのもらった命をむだにしないよう、毎日精いっぱい生きていきたいです。私たちの命は、自然界のいろいろなものやたくさんの人に支えられています。
生かされている命に感謝したいです。