代表者からの素晴らしい振り返りがあったように、今日で、たくさんのことが凝縮された、そして皆さんも私を含めた先生方も成長する場を与えられた2学期が終わりになります。もう終わりなのか、それとも、やっと終わりなのか・・・。2学期の始業式で、学級はもちろん、学年、縦割り、そして学校全体が、「本当のチーム」になっているか?が試される学期だと言いましたが…どう感じていますか。同じ目的・目標に向かって、コミュニケーションが円滑で、それぞれが自らの役割を果たし、協働意識を持って取り組む姿が、皆さんからも先生方からも実感することができました。ありがとうございました。「チームで教育活動に取り組んでいる学校」と堂々と言えるのではないかと私は勝手に思っています。
先日、自分が出席した会合の最後に、教育長さんが参加者に投げ掛けたある詩がありました。その詩をみなさんにも伝えます。
「なんだろう なんだろう『ゆるす』ってなんだろう」(光村図書 2年生道徳 ヨシタケシンスケ作)
世の中ゆるせないことばかりだ。
世界でおきていることも、自分にひどいことをした友だちも、
きれいなことばかり言って、ちっともわかってくれない大人たちも。
「ゆるす」ってむずかしい。
そもそもどうなったら「ゆるした」ことになるのだろう。
憎しみが消えたら? 忘れたフリができたら?
別のことで頭がいっぱいになったら?
ゆるしてしまったら、自分がいちばん大事にしているものが
なくなってしまうのだろうか?
でも「ゆるせない状態」ってつらい。ちっとも楽しくない。
なにかどうしてもゆるせないことがあって、そのために人を、世の中を
変えたいとがんばる人もいる。
「ゆるせない」という気持ちは、時にものすごいパワーになる。
たくさんの人をすくう時もあるし、誰かをひどく傷つける時もある。
「ゆるせない」が必要な時もあるのかな?
ゆるすのに一生かかることもあるのかな?
「ゆるしてあげたいけど、ゆるせない」こともあるのかな?
「半分だけゆるしてあげる」ってできるのかな?
いろんなことをしたり、されたり。人はみんな「お互いさま」の中で生きている。
ゆるしたりゆるせなかったり、ゆるしたかったり。
いろんな矢印の中にきみはいる。 「ゆるす」って、なんだろう。
「皆さんには、許せないと思っていることはある(人はいる)のでしょうか?」 それはどうしてですか?
「逆に、許してもらったことはない(ゆるしてくれた人はいない)でしょうか」自分で気付いていないこともあるのかも・・・
私は失敗が多いので、人が許せないというより、自分が許せないということはよくあります。そして、その失敗を多くの人に許してもらったから、今までやれてこられたのかなと思っています。皆さんはどうでしょうか。
改めて、みなさん2学期間よく頑張りました。冬休みは、それぞれが、それぞれの場で、今やるべきことに全力を尽くしてください。新年1月6日には、けじめをつけた心持ちで、新年のスタートにふさわしい前向きで、元気な姿でまた会えるといいなと思います