6月12日。今日は『命について考える日』です。
天竜中学校では、【朝会】の中で、【こころの日】として、校長先生が「命」についてお話してくださいました。
天竜中学校では、【朝会】の中で、【こころの日】として、校長先生が「命」についてお話してくださいました。
今日は「命について考える日」の話をします。
浜松市の小中学校においては、市内一斉に6月12日は、「命について考える日」となっています。
2012年6月12日、浜松市の中学2年生がいじめを受けていたことに苦しみ自ら死を選んだことから、2度とこのような悲しい出来事が起こらないように、自分の命、他者の命について、その大切さ、重さについて考える日としました。
さて、先週の朝会での話を思い出してください。
「多様性を認め合う」ことができるように三つのことをこころがけよう、という話をしました。
人はみんな違うことが当たり前。自分と違うからといって排除したり、逆に、違う考えの人を無理に自分と同じにしようとしたりすることは、「多様性を認め合う」ことにはなりません。
違うことを認めつつ、どうしたら歩み寄ることができるかを考えていくからこそ、社会は成り立っています。
そして、一人きりなら乗り越えられないことも、友達がいたから乗り越えられた、と思うような経験をしたことがある人がいるでしょう。また、特別なことがなくて、普段から挨拶を交わしたり、仲間と力を合わせ一つのことに取り組んだりして、たくさんの人と心を通わせたりすることで、人を思いやることを学び成長しています。
こうして成長することは、誰もが持っている「社会の中で自分らしく生きる権利」なのです。
では、逆に、こころを通わせたいと思っている友達が自分を傷つけ、自分の存在を否定したら、どうでしょう。決して乗り越えられない心の傷を負うかもしれません。
もし今、だれかの悪口を言ったり、友達を仲間外れにしたりしている人がいたら、すぐにやめなさい。
「命について考える日」にあたり、誰もが持っている「自分らしく生きる権利」を奪うような卑劣な行為は、絶対にしてはいけないということを、改めて皆さん一人一人の心に刻みこむことを願います。
そして、もし、今辛い思いをしている人がいたら、すぐに近くにいる大人に伝えてください。天竜中の先生たちは、皆さんの話に耳を傾け、皆さんを全力でサポートしようと思っている先生たちばかりです。
信頼してください。
今年も、一冊の絵本を読みます。今年のお話は、皆さんのすぐ近くでも起きているかもしれない話です。自分は、登場人物の中のどの立場だろうか、考えながら聞いてください。
『ひとりひとりのやさしさ』 ( ジャクリーン・ウッドソン 作 )
浜松市の小中学校においては、市内一斉に6月12日は、「命について考える日」となっています。
2012年6月12日、浜松市の中学2年生がいじめを受けていたことに苦しみ自ら死を選んだことから、2度とこのような悲しい出来事が起こらないように、自分の命、他者の命について、その大切さ、重さについて考える日としました。
さて、先週の朝会での話を思い出してください。
「多様性を認め合う」ことができるように三つのことをこころがけよう、という話をしました。
人はみんな違うことが当たり前。自分と違うからといって排除したり、逆に、違う考えの人を無理に自分と同じにしようとしたりすることは、「多様性を認め合う」ことにはなりません。
違うことを認めつつ、どうしたら歩み寄ることができるかを考えていくからこそ、社会は成り立っています。
そして、一人きりなら乗り越えられないことも、友達がいたから乗り越えられた、と思うような経験をしたことがある人がいるでしょう。また、特別なことがなくて、普段から挨拶を交わしたり、仲間と力を合わせ一つのことに取り組んだりして、たくさんの人と心を通わせたりすることで、人を思いやることを学び成長しています。
こうして成長することは、誰もが持っている「社会の中で自分らしく生きる権利」なのです。
では、逆に、こころを通わせたいと思っている友達が自分を傷つけ、自分の存在を否定したら、どうでしょう。決して乗り越えられない心の傷を負うかもしれません。
もし今、だれかの悪口を言ったり、友達を仲間外れにしたりしている人がいたら、すぐにやめなさい。
「命について考える日」にあたり、誰もが持っている「自分らしく生きる権利」を奪うような卑劣な行為は、絶対にしてはいけないということを、改めて皆さん一人一人の心に刻みこむことを願います。
そして、もし、今辛い思いをしている人がいたら、すぐに近くにいる大人に伝えてください。天竜中の先生たちは、皆さんの話に耳を傾け、皆さんを全力でサポートしようと思っている先生たちばかりです。
信頼してください。
今年も、一冊の絵本を読みます。今年のお話は、皆さんのすぐ近くでも起きているかもしれない話です。自分は、登場人物の中のどの立場だろうか、考えながら聞いてください。
『ひとりひとりのやさしさ』 ( ジャクリーン・ウッドソン 作 )
いかがでしたか?
ここで質問します。皆さんが登場人物の中の誰かになるとしたら、誰になりたいですか?
マヤの隣の席になったけれど、マヤを遠ざけようとして、でも最後に後悔している「あたし」。
「あたし」の友達で、マヤの悪口を一緒に言っていた「ケンドラ、ソフィー」。
「あたし」の後ろの席で、マヤがあたしに話し掛けるのを見て、からかったいじわるな「アンドリュー」。
同じクラスの生徒だけど、マヤを遠巻きに見ている生徒たち。誰になりたいですか?
こういう経験をしたことがないからわからない、誰にもなりたくない、という人もいるでしょう。
実際、転校生の「マヤ」のような気持ちを味わったことがある人もいるでしょう。
絵本の中のクラスも天竜中の皆さんのクラスも、当然いろいろな人がいて、多様な考えを持って生活しています。
くどいようですが、まるっきり同じ思い、考え方の人は一人としていません。
でも、私は、一つだけおそらくみんなが同じ思いでいると思うことがあります。
それは、自分から進んで「マヤ」になりたいと思う人は決していないということです。
みんなと仲良くなりたいと努力したけど、だれにも受け入れてもらえず、ひっそりとまた転校していった「マヤ」になりたい人は、おそらくいないでしょう。
「ひとりひとりのちいさなやさしさが、さざなみのようにせかいにひろがっていく」
人は、言葉や行動で自分とは違う人を傷つけることもできるけれど、水に落とした小石がさざなみを広げるように、一つの言葉やさり気ない行動で、少しずつやさしさを広げ、だれかに温かいぬくもりを届け励ますこともできるはずです。
「マヤにやさしさをとどけるチャンスも すこしずつ とおざかって、いまはもうつかめない。」
「あたし」は後悔しているのでしょう。せめて、マヤに届けられなかったやさしさを、別のだれかに届けていることを願います。
そして、皆さんには、誰かと一緒になって人の心を傷つける側になるのではなく、自分の意思で、誰かの心に優しさを届けることができる存在になってほしいと、心から願っています。
ここで質問します。皆さんが登場人物の中の誰かになるとしたら、誰になりたいですか?
マヤの隣の席になったけれど、マヤを遠ざけようとして、でも最後に後悔している「あたし」。
「あたし」の友達で、マヤの悪口を一緒に言っていた「ケンドラ、ソフィー」。
「あたし」の後ろの席で、マヤがあたしに話し掛けるのを見て、からかったいじわるな「アンドリュー」。
同じクラスの生徒だけど、マヤを遠巻きに見ている生徒たち。誰になりたいですか?
こういう経験をしたことがないからわからない、誰にもなりたくない、という人もいるでしょう。
実際、転校生の「マヤ」のような気持ちを味わったことがある人もいるでしょう。
絵本の中のクラスも天竜中の皆さんのクラスも、当然いろいろな人がいて、多様な考えを持って生活しています。
くどいようですが、まるっきり同じ思い、考え方の人は一人としていません。
でも、私は、一つだけおそらくみんなが同じ思いでいると思うことがあります。
それは、自分から進んで「マヤ」になりたいと思う人は決していないということです。
みんなと仲良くなりたいと努力したけど、だれにも受け入れてもらえず、ひっそりとまた転校していった「マヤ」になりたい人は、おそらくいないでしょう。
「ひとりひとりのちいさなやさしさが、さざなみのようにせかいにひろがっていく」
人は、言葉や行動で自分とは違う人を傷つけることもできるけれど、水に落とした小石がさざなみを広げるように、一つの言葉やさり気ない行動で、少しずつやさしさを広げ、だれかに温かいぬくもりを届け励ますこともできるはずです。
「マヤにやさしさをとどけるチャンスも すこしずつ とおざかって、いまはもうつかめない。」
「あたし」は後悔しているのでしょう。せめて、マヤに届けられなかったやさしさを、別のだれかに届けていることを願います。
そして、皆さんには、誰かと一緒になって人の心を傷つける側になるのではなく、自分の意思で、誰かの心に優しさを届けることができる存在になってほしいと、心から願っています。
校長先生のお話を聞いたあと、感じたこと、考えたことを書いて、ひとりひとりが「いのち」について考えました
次の道徳の時間には、それぞれの学年ごと、「いのち」や「いじめ」について考える学習をする予定です
次の道徳の時間には、それぞれの学年ごと、「いのち」や「いじめ」について考える学習をする予定です