演台に掲げられた青い70番のユニフォーム。
このユニフォームに込められた健吾さんの、そして多くの人たちの思いを、子どもたちがこれから知ることになります…。
10月14日の午後、藤田さんご夫妻が来校され、1年生の子どもたちに「命の講話」をしてくださいました。
藤田健吾さん。
本校の卒業生で、19年前に病気でこの世を去りました。
まだ17歳でした。
藤田さんご夫妻は、ご子息の生きた17年間についてお話くださいました。
「健吾の高校生活についてお話したいと思います」
「左手を胸に当ててみてください」
子どもたちは静かに自分の心臓の鼓動を感じています。
「そう、あなたは生きている」
ご両親は、中3の秋に健吾さんの病気の宣告をされたといいます。
「高校の入学式の後、本人に病気のことを伝えました」
高校でサッカーを続けることに不安を感じたご両親。
本人からは「サッカーはやめない」
病気と闘いながら、サッカー部に入部しました。
病気のことは、クラスの友達にも伝えていなかったそうです。
治療のこともあり、友達からの心無い言葉に傷つくことも。
そうした、健吾さんの日常の思い出を当時の友達が綴ってくれたメッセージが読み上げられました。
「あいつの辛さはよくわかる。ごめんなさい」
高2での修学旅行は痛み止めを飲みながら行くことができました。
その後も学校を休むことが多かったそうです。
高3の5月、インターハイ予選でのこと。
健吾さんの練習着を自分のユニフォームの下に着てプレーしてくれた選手がいました。
その選手がゴールを決めた時、ユニフォームをめくり、健吾さんの練習着を示したゴールパフォーマンス。
イエローカードをもらってしまったけれど、サッカー部の仲間がみんなが応援してくれていました。
病状が思わしくなく、夏ごろから入院。
健吾さんは、携帯で自身のブログ記事を書いていたそうです。
1学期の終業式。
「人の温かさに触れる学期だった」
「1学期もたくさ沢山休んだ」
「毎日話しかけてくれる友達がいた」
「とても幸せです」
このメッセージを書いていた頃の痛みは極限状態でした。
あるJリーガーが健吾さんの病室を訪ねてきてくれたことがあったそうです。
あまりの嬉しさに立ち上がる健吾さん。
心温まる、優しい贈り物をいただきました。
9月、体育大会に行くことができました。
座って見守る健吾さんにそっと日傘をさしてくれる友達もいました。
その後、本人の「家に帰りたい」という希望があり、病院から自宅へ。
その頃のご本人のブログには「お世話になった友達に恩返しがしたい」と。
健吾さんは、体育大会の1か月後に静かに息を引き取りました。
ご両親は、こうした思い出をひと一言ずつかみしめるように子どもたちに伝えてくれました。
10月に息子さんを亡くされてから、ご両親がブログ記事などを1冊の本にまとめたそうです。
タイトルは「ありがとう」
高校の卒業式では、クラスの友達が健吾さんの名前を呼びかけるシーンもあったそうです。
この本もみんなに配られました。
健吾さんが高校時代を力強く、そして困難な状況にありながら人を思う優しさと温かさに包まれて生きた姿が伝わってきました。
「みんな一生懸命生きています」
「これから辛いことがあった時には、手を胸に当てて乗り越えてほしい」とエールを送ってくださいました。
「今日は最後まで聞いてくれてありがとうございました」
短い時間でしたが、子どもたちは真剣に話を聞いていました。
代表生徒のお礼の言葉も、心のこもったものでした。
講話の後の子どもたちの感想です。
「健吾さんが『病気を言い訳にしたくない』と言った言葉が印象に残りました」
「強い心にとても感動しました。健吾さんはとても優しい人だと思いました」
「70番のユニフォームを背負った仲間が点を決めた最高の思い出が感動しました」
「ブログの日記に、友達や両親に対する『ありがとう』がたくさん書かれていました」
「今日のいのちの講話は一生忘れません。これからも命に感謝し『ありがとう』をたくさん言いたいと思いました」
「健吾さんのお友達も健吾さんにとても感謝していたことが分かり、感動しました」
「僕も友達とサッカーをするのが好きだから、お話を聞いて心は本当に大事だなと思いました」
藤田さんご夫妻、貴重なお話と感動をありがとうございました。
このユニフォームに込められた健吾さんの、そして多くの人たちの思いを、子どもたちがこれから知ることになります…。
10月14日の午後、藤田さんご夫妻が来校され、1年生の子どもたちに「命の講話」をしてくださいました。
藤田健吾さん。
本校の卒業生で、19年前に病気でこの世を去りました。
まだ17歳でした。
藤田さんご夫妻は、ご子息の生きた17年間についてお話くださいました。
「健吾の高校生活についてお話したいと思います」
「左手を胸に当ててみてください」
子どもたちは静かに自分の心臓の鼓動を感じています。
「そう、あなたは生きている」
ご両親は、中3の秋に健吾さんの病気の宣告をされたといいます。
「高校の入学式の後、本人に病気のことを伝えました」
高校でサッカーを続けることに不安を感じたご両親。
本人からは「サッカーはやめない」
病気と闘いながら、サッカー部に入部しました。
病気のことは、クラスの友達にも伝えていなかったそうです。
治療のこともあり、友達からの心無い言葉に傷つくことも。
そうした、健吾さんの日常の思い出を当時の友達が綴ってくれたメッセージが読み上げられました。
「あいつの辛さはよくわかる。ごめんなさい」
高2での修学旅行は痛み止めを飲みながら行くことができました。
その後も学校を休むことが多かったそうです。
高3の5月、インターハイ予選でのこと。
健吾さんの練習着を自分のユニフォームの下に着てプレーしてくれた選手がいました。
その選手がゴールを決めた時、ユニフォームをめくり、健吾さんの練習着を示したゴールパフォーマンス。
イエローカードをもらってしまったけれど、サッカー部の仲間がみんなが応援してくれていました。
病状が思わしくなく、夏ごろから入院。
健吾さんは、携帯で自身のブログ記事を書いていたそうです。
1学期の終業式。
「人の温かさに触れる学期だった」
「1学期もたくさ沢山休んだ」
「毎日話しかけてくれる友達がいた」
「とても幸せです」
このメッセージを書いていた頃の痛みは極限状態でした。
あるJリーガーが健吾さんの病室を訪ねてきてくれたことがあったそうです。
あまりの嬉しさに立ち上がる健吾さん。
心温まる、優しい贈り物をいただきました。
9月、体育大会に行くことができました。
座って見守る健吾さんにそっと日傘をさしてくれる友達もいました。
その後、本人の「家に帰りたい」という希望があり、病院から自宅へ。
その頃のご本人のブログには「お世話になった友達に恩返しがしたい」と。
健吾さんは、体育大会の1か月後に静かに息を引き取りました。
ご両親は、こうした思い出をひと一言ずつかみしめるように子どもたちに伝えてくれました。
10月に息子さんを亡くされてから、ご両親がブログ記事などを1冊の本にまとめたそうです。
タイトルは「ありがとう」
高校の卒業式では、クラスの友達が健吾さんの名前を呼びかけるシーンもあったそうです。
この本もみんなに配られました。
健吾さんが高校時代を力強く、そして困難な状況にありながら人を思う優しさと温かさに包まれて生きた姿が伝わってきました。
「みんな一生懸命生きています」
「これから辛いことがあった時には、手を胸に当てて乗り越えてほしい」とエールを送ってくださいました。
「今日は最後まで聞いてくれてありがとうございました」
短い時間でしたが、子どもたちは真剣に話を聞いていました。
代表生徒のお礼の言葉も、心のこもったものでした。
講話の後の子どもたちの感想です。
「健吾さんが『病気を言い訳にしたくない』と言った言葉が印象に残りました」
「強い心にとても感動しました。健吾さんはとても優しい人だと思いました」
「70番のユニフォームを背負った仲間が点を決めた最高の思い出が感動しました」
「ブログの日記に、友達や両親に対する『ありがとう』がたくさん書かれていました」
「今日のいのちの講話は一生忘れません。これからも命に感謝し『ありがとう』をたくさん言いたいと思いました」
「健吾さんのお友達も健吾さんにとても感謝していたことが分かり、感動しました」
「僕も友達とサッカーをするのが好きだから、お話を聞いて心は本当に大事だなと思いました」
藤田さんご夫妻、貴重なお話と感動をありがとうございました。
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保健室前の廊下に「先生の心のメッセージ」と題した掲示が紹介されています。
命の習慣に合わせて、全ての先生方が作ってくれました。
命の習慣に合わせて、全ての先生方が作ってくれました。
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