23日から27日は学校給食週間です。
学校給食の始まりは明治22年、山形県にある私立忠愛小学校で、家庭が貧しくお弁当を持ってこられない子どもたちのために食事を提供したことからといわれています。
その後、全国で実施されるようになりましたが、戦争による食料不足で中止されていました。
戦争が終わり、子どもたちの栄養不足を改善するために、外国などからの援助で給食が再開されました。
昭和21年12月24日に再び給食が始まったことから、この日を「学校給食感謝の日」としましたが、冬休みに入ってしまうため、1か月後の1月24日からの1週間を「全国学校給食週間」としました。
浜松市では、23日から27日を給食週間として、様々なテーマの献立の給食を実施しています。
学校給食の始まりは明治22年、山形県にある私立忠愛小学校で、家庭が貧しくお弁当を持ってこられない子どもたちのために食事を提供したことからといわれています。
その後、全国で実施されるようになりましたが、戦争による食料不足で中止されていました。
戦争が終わり、子どもたちの栄養不足を改善するために、外国などからの援助で給食が再開されました。
昭和21年12月24日に再び給食が始まったことから、この日を「学校給食感謝の日」としましたが、冬休みに入ってしまうため、1か月後の1月24日からの1週間を「全国学校給食週間」としました。
浜松市では、23日から27日を給食週間として、様々なテーマの献立の給食を実施しています。
~~篠原小学校での給食週間の取り組みを紹介します~~
〇感謝の手紙
毎日給食を作ってくれている調理員さんに、手紙を書きました。
給食委員会が代表してお渡ししました。感謝の気持ちが伝わったと思います。
読んでいただいたものから、給食室・配膳室前に掲示しています。
〇感謝の手紙
毎日給食を作ってくれている調理員さんに、手紙を書きました。
給食委員会が代表してお渡ししました。感謝の気持ちが伝わったと思います。
読んでいただいたものから、給食室・配膳室前に掲示しています。
〇教えて!調理員さん!(調理員さん紹介掲示) 〇地場産物の展示
給食委員会で、「普段交流がない調理員さんのことを知ってもらいたい!」ということで、調理員さんに
インタビューを行い、掲示物を作成しました。昇降口前に掲示すると、みんな興味津々です。
掲示を見ると、どんな思いで作ってくれているのか、どんな大変なことがあるのか、知ることができます。
750人以上の給食を、9人で作ってくれています。感謝の気持ちをもって給食を食べたいですね。
昇降口では、地元でとれる野菜や果物の展示も行っています。
給食委員会で、「普段交流がない調理員さんのことを知ってもらいたい!」ということで、調理員さんに
インタビューを行い、掲示物を作成しました。昇降口前に掲示すると、みんな興味津々です。
掲示を見ると、どんな思いで作ってくれているのか、どんな大変なことがあるのか、知ることができます。
750人以上の給食を、9人で作ってくれています。感謝の気持ちをもって給食を食べたいですね。
昇降口では、地元でとれる野菜や果物の展示も行っています。