今日は、広島の原爆記念日です。戦争当時のことを特集します。
戦争前後の資料は、ほとんど残っていないのですが、様子が分かるものがあったので、紹介したいと思います。
昭和16年初めの校舎、しかし昭和20年5月~6月にかけて焼失します。
空襲を受けた様子が書かれています。
「昭和20年5月19日(土曜日)曇
午前11時頃より約一時間爆撃を受く
大型爆弾が校地に接して三個落下し 内の二発は校舎を挟み、一発は運動場に落下す。校舎は使用にたへざるほどに破壊せられ、機械、器具殆ど損傷を受く。児童は下降(下校)せしめし後、職員は壕中に在りて被害なし。」
「昭和20年6月18日(月曜日)
焼夷弾爆撃により校地内に多数落下し、前回の爆弾攻撃の被壊物及び校舎に延焼し校庭は一面の火の海となりたるも消火す。避難する人々校地内の防空壕に溢つ」
(引用 戦災史調査資料 濱松市淺間國民學校)
校舎が焼失した後も、1,2年生は光福寺、3,4年生は浅間神社、5、6年生は校庭で分散して授業をしたそうです。
戦前の貴重な学校活動の写真
昭和22年、新校舎落成