今日の夏ブログ担当は養護教諭の祐子先生です。
まもなく新学期が始まりますが、皆さんはこの夏をどのように過ごしましたか?
私は、「ゲゲゲの鬼太郎」の作者として有名な水木しげるさん(本名:武良茂さん)の戦争体験を知り、もっと詳しく知りたいと思い、東京にある「しょうけい館(戦傷病者資料館)」を訪れました。
水木しげるさんは若いころ戦争に行き、左腕を失うという大けがを負いました。このことから、水木さん自身も「戦傷病者」の一人です。それでもあきらめず、多くの苦労を乗りこえて、たくさんの人々に親しまれる作品を生み出しました。「戦傷病者」とは、戦争によってけがをしたり病気になったりし、その後も長く苦労を続けてきた方々のことをいいます。「しょうけい館」は、そうした人々の体験や戦後の生活を後の時代に伝える資料館です。
館内では、水木さんのほかにもさまざまな戦傷病者の方々の手記や写真、当時の暮らしの様子などが展示されていました。それを見て、戦争が人々の人生にどれほど大きな影響を与えたのかを改めて知ることができました。自分だったらどう感じただろうかと想像しながら、いろいろと考えさせられました。
特に心に残ったのは、水木さんの「戦争を賛美するのは戦地に行かない人ですよ。」という言葉です。戦争を実際に経験した人だからこそ言える重みを感じました。戦後は今ほど社会福祉制度も整っていなかったため、戦傷病者やその家族の暮らしはとても大変だったそうです。そして、そうした方々の苦労や努力が、今の平和な日本を支えてきたのだと思いました。
世界では今も戦争や争いが続いていて、多くの人々が苦しんでいます。平和が当たり前のように思えてしまいますが、それは先人たちの努力や願いがあってこそだということを忘れてはいけないと感じました。
浜松にも「浜松復興記念館」という施設があります。こうした場所に行ってみたり、戦争や平和について少し考えてみたりするのもいいかもしれませんね。
この夏の学びを通して、私自身も改めて平和の大切さについて考えることができたように思います。そして、これからもその気持ちを大事にしていきたいです
まもなく新学期が始まりますが、皆さんはこの夏をどのように過ごしましたか?
私は、「ゲゲゲの鬼太郎」の作者として有名な水木しげるさん(本名:武良茂さん)の戦争体験を知り、もっと詳しく知りたいと思い、東京にある「しょうけい館(戦傷病者資料館)」を訪れました。
水木しげるさんは若いころ戦争に行き、左腕を失うという大けがを負いました。このことから、水木さん自身も「戦傷病者」の一人です。それでもあきらめず、多くの苦労を乗りこえて、たくさんの人々に親しまれる作品を生み出しました。「戦傷病者」とは、戦争によってけがをしたり病気になったりし、その後も長く苦労を続けてきた方々のことをいいます。「しょうけい館」は、そうした人々の体験や戦後の生活を後の時代に伝える資料館です。
館内では、水木さんのほかにもさまざまな戦傷病者の方々の手記や写真、当時の暮らしの様子などが展示されていました。それを見て、戦争が人々の人生にどれほど大きな影響を与えたのかを改めて知ることができました。自分だったらどう感じただろうかと想像しながら、いろいろと考えさせられました。
特に心に残ったのは、水木さんの「戦争を賛美するのは戦地に行かない人ですよ。」という言葉です。戦争を実際に経験した人だからこそ言える重みを感じました。戦後は今ほど社会福祉制度も整っていなかったため、戦傷病者やその家族の暮らしはとても大変だったそうです。そして、そうした方々の苦労や努力が、今の平和な日本を支えてきたのだと思いました。
世界では今も戦争や争いが続いていて、多くの人々が苦しんでいます。平和が当たり前のように思えてしまいますが、それは先人たちの努力や願いがあってこそだということを忘れてはいけないと感じました。
浜松にも「浜松復興記念館」という施設があります。こうした場所に行ってみたり、戦争や平和について少し考えてみたりするのもいいかもしれませんね。
この夏の学びを通して、私自身も改めて平和の大切さについて考えることができたように思います。そして、これからもその気持ちを大事にしていきたいです

