10日(水)、大地震発生後の津波に備えて高台に避難する訓練をしました。明応の大地震(1498)、宝永の大地震(1707)、安政の大地震(1854)と、気賀の町には何度も津波が到達したという記録が残っています。安政の大地震の際に細江中学校のあたりに津波が到達していることがわかる絵図も残っています。
現在も浜松市防災マップで津波浸水箇所になっているのは、そういう過去の歴史があるからだと思います。
ただし、現在は堤防が整備され、今切れ口を津波が越えてから気賀の町に到達するまで30分以上かかる見込みです。
まずは、地震の揺れから身を守り、その後、安全確認をしてから落ち着いて避難すれば大丈夫です。
避難場所に天理教境内をお借りすることになっていますが、石垣等が崩れていないか、斜面の崩落がないかどうか等、教員が確認してから移動します。石段を登るルート以外に二つの避難ルートを設定してあります。
現在も浜松市防災マップで津波浸水箇所になっているのは、そういう過去の歴史があるからだと思います。
ただし、現在は堤防が整備され、今切れ口を津波が越えてから気賀の町に到達するまで30分以上かかる見込みです。
まずは、地震の揺れから身を守り、その後、安全確認をしてから落ち着いて避難すれば大丈夫です。
避難場所に天理教境内をお借りすることになっていますが、石垣等が崩れていないか、斜面の崩落がないかどうか等、教員が確認してから移動します。石段を登るルート以外に二つの避難ルートを設定してあります。
帰りは違うルートを確認しながら帰校しました。