2010年5月

  • 学校だより「浜名湖」の第4号を発行しました。

    →こちらからどうぞ


  • 睡蓮

    2010年5月17日
      池の睡蓮が真っ白な花を咲かせています。凛々しさを感じさせる花です。

    • 今日の授業

      2010年5月17日
        5月17日の授業の様子

        1年生の数学です。正の数負の数について学習しています。こんな課題が提示されました。

        課題解決のために3人グループで話し合っています。


        2年生の国語です。『葛藤』という言葉の由来を説明しています。


        2年生の理科です。オームの法則について学習しています。


        3年の社会科では情報(IT)について学習しています。情報モラルもここで学習します。



        3年の理科です。台車の実験で学習した「力」を作図であらわすことを学習します。




        3年生の英語です。形容詞の比較級や動名詞など2年生の復習を中心に学習しています。
      • この思い後輩に伝えたい

         長崎では多くのことを知ることができた。午前中ボランティアガイドさんに案内してもらった
        原爆資料館には原爆に関する資料、被害が分かる実物などがあった。その一つ一つが重
        みがあり、その瞬間がその場によみがえるようだった。ガイドさんの話も心にぐっとくる話だった。
        資料館の後は市内の被爆した建物や場所を見て回った。爆心地はすごく神聖な地だった。
        浦上天主堂の遺壁も迫力があった。当時の物がたくさんあった。平和祈念像もすごく大きかった。
         午後の判別研修では長崎の歴史と共に和華蘭の文化について知ることができた。
         そして下平さんのお話。
         下平さんのお話は実際に被爆した人にしか分からない体験談だった。
        きっと思い出すのもつらいはずなのに、私たちに話してくれた。言葉にすごく重みがあった。
        被爆した瞬間、母親の死、妹の自殺、全ては原爆のせい。そしてその原爆を使わせた戦争の
        せいだと思う。 戦争の悲惨さ、平和の尊さを知ることができよかった。これからは平和感謝し、
        人との関わりを大切にしたい。後輩にこの思いを伝えていけたらいい。



        如己堂を見学する生徒

         診療と研究による放射線障害と原爆による障害のため、病床にあった永井博士のために
        1948(昭和23)年春、浦上の隣人たちが建てた2畳一間の家。
         博士は、家を建ててくれた人々の心を忘れず、自分もこの愛に生きようと、
        聖書の「己の如く人を愛せよ」の言葉から、「如己堂」と名づけました。
      • 1年生親子奉仕作業

        2010年5月15日
          1年生の親子が奉仕作業として
          敷地内の草刈り作業をしてくれました!!
          お休みの日に朝早くからありがとうございました

          グランド南側です。


          グランド南側の斜面は草刈り機で
          多くの方に草刈り機をもってきていただいたので
          作業がとてもスムーズでした
          ありがとうございました。
          西川先生も草刈り機初体験です



          「今日は敷地内がきれいになり、とても気分が良くなりました。
          これはみなさんのお陰です。ありがとうございました。」
        •  下平さんの思い受け止めて生きたい

           僕がこの平和学習を通して感じたことはやっぱり戦争はいけないということです。
          戦争がなければ原爆が投下されることはなかったし、あんなにたくさんの死者が
          出ることもなかった。たった一瞬の出来事で町や人がなくなってしまった。
          そんなことをする戦争が許せません。また実際に被爆した下平さんのお話が心に
          残りました。

           気絶して目が覚めたら周りが死体だらけだったそうで、本当に怖かったと思う。
          もし僕がその場にいたら自分も死にたいと思っただろう。下平さんはそう
          いう思いを乗り越えて生きてきたからこそ、被爆の体験談を通して、今平和である
          ことの大切さ、生きるということの大切さを伝えられるのだと思う。その思いをしっ
          かりと受け止めて生きていきたいです。



          永井隆記念館にて

          永井隆博士
          1945(昭和20)年8月9日午前11時2分、長崎市に落とされた原子爆弾に多くの市民とともに被爆し、
          白血病と闘いながら被爆者への救護活動を続け、原爆に関する医学的な研究と多くの著作を残した。
        • 部活動参観会

          2010年5月14日
             今日は午後から部活動の参観会を行いました。
            部活動毎に懇談会を行い、その後活動の様子を
            みていただきました。

          •  戦争や原爆の悲惨さ伝えたい

             僕は修学旅行の平和学習を振り返って思うことは、戦争はとても悲惨であること、
            核は地球に必要ないということです。原爆資料館では原爆の熱線による被害、
            浦上天主堂の惨状や原爆が投下されたビデオなどを見学しました。
            特に印象に残っているのは影だけが壁に写っている写真です。このようなことが
            現実にあったと思うととても恐ろしいです。平和公園の「平和祈念像」は日本の
            仏教とキリスト教の2つの意味があることが分かりました。また、永井博士の活動
            がよく分かりました。

             下平さんの被爆体験のお話は、とても心に残っています。下平さんが被爆しど
            んな苦しい生活をしてきたのか、また、戦争がどんなに悲惨で原子爆弾がどんな
            に多くの人を苦しめているのかが分かりました。今も下平さんのように原爆に被爆
            し苦しんでいる人がいるというのはとても心が痛みます。またここで聞いた体験を
            他の人に話して広めていくことができたらいいと思います。この平和学習で戦争
            の悲惨さ、核が必要ないということを改めて知ることができました。
            この体験を生かして生きたいです。



            爆心地で話を聞く生徒たち

            昭和20年 8月 9日長崎上空へ侵入したB29「ボックスカー」は、雲の切れ間に三菱長崎兵器製作所の巨大な工場群を発見し、

            高度9,000mから原子爆弾を投下。

            午前11時 2分、上空500mで、天空を裂くような熾烈な閃光を伴って爆発した。

             



          • 私たちにできること

             長崎での平和学習。午前中はシルバーガイドさんに案内されながら見学をしました。
            原爆資料館の中野資料はどれも痛々しいものばかりでした。ボロボロの服や時計。写
            真には黒こげになった遺体や一人寂しく家族を捜す少女。もうすでに死んでいる弟をお
            んぶしている少年。戦争のために自分の家族を亡くした人たちは、今でもその記憶は
            薄れずにいると思います。

             戦争を体験したことのない私たちに何ができるでしょう?核兵器をつくったり、持ち
            込んだりするのを反対するだけではいけないと思います。言うだけで行動しないので
            あれば何の意味もありません。しかし、それは難しいことかもしれません。考えが違
            う人たちにしっかりと話をしなければなりません。下平さんはしっかりと実行している
            と思います。他にもそういう方たちはいます。私たちはそのことをしっかりと理解しなく
            てはなりません。世界中の人たちが戦争の愚かさを知らなければなりません。
            戦争は自分の国を不幸にします。



            平和を願い千羽鶴の奉納しました。
          • 1年生 耳鼻科検診

            2010年5月13日
              13:30より

              1年生を対象に耳鼻科検診をしていただいています

              診察の順番待ちです





              先生の話が良く聴けるように・・・笑



              健康な体でいるためにも検診は重要ですね