2024サマーレター~2年A先生~

2024年8月8日
    夏休み期間中は、先生方から生徒の皆さんへ
    暑中見舞い(残暑見舞い)として、
    メッセージをお届けしますwink

    今回の担当は、2年担当のA先生ですsad
      「疑心暗鬼」という四字熟語があります。人を一旦疑い始めると、ほんの少しのことでも信じることができなくなる。つまり、「疑心暗鬼」とは、暗いところを見ただけで鬼が出ると思うくらい疑い深い心をもつということが語源なのだそうです。
       皆さんは今までにちょっとしたことで仲間を疑ったことがありませんでしたか。メールの返事がこないとか、別の人と仲良く話しているのを見かけたとか、良くない噂を人から聞いたとか、ただそれだけのことで裏切られた等と思うことはよくありがちなことです。しかし、よく事実を確かめもしないで人を疑うことは、相手からすればそれこそ裏切りではないでしょうか。特に自分の仲間に対する負の情報は、例え自分がどれほど信頼を寄せている人からの情報であっても、それを真(ま)に受けてはなりません。本来は自分自身の目と耳で確かめて、自ら判断すべきことなのです。これまで友情を育んできた期間がどれほど長かったにせよ、ほんの少しの情報で崩れてしまうのならば、今までの結び付きがとても弱かったことの証拠になってしまいます。なぜなら、これまで育んできた友情の長さや深さより、一瞬の不確かな負の情報を信じたことになるからです。
       また、人間関係において間違えやすいこと、勘違いしやすいことはとてもたくさんあります。「愛することと甘やかすこと。信じることと真に受けること。任せることと放任すること。ゆとりをもつことと放任すること……。」こうしたことの認識のすれ違いが、相手を疑う原因になる場合もあるでしょう。
       頭では理解できても、そうしたことで生じた人間関係のトラブルはいつの時代にもあるものです。今までどれだけの哲学者や先人が、信じることの価値や、疑うことの無価値を説いてきたことでしょう。しかし、いつの時代にも人間は信じ合えないことによって争うことが絶えません。なぜなら人間は生物学的に自己防衛本能によって、ある程度自己中心的にできているからなのです。仲間を疑えば、その仲間が傷付くことを知りながら、それでも、自分は傷付きたくないのでしょう。でも、逆に考えれば、その自己防衛本能を超えたところに、思いやりや優しさがあることに気付きます。だからこそ、それらのことが価値のあることなのではないですか。例え信じた相手に裏切られ、傷付くことになったとしても、信じていた自分を愚かだと嘆くことなく、胸を張っていたいものです。
       武田鉄矢がかつて「贈る言葉」の中で「信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷付く方がいい。求めないで優しさなんて、臆病者の言い訳だから……」と歌っていました。私は若い頃、「優しさを求めすぎると、ちょっとした言葉に傷付き、相手を疑っては嘆く臆病者になる」という教えとして、この歌を聞いていました。
       皆さんは、これまでたくさんの人に信じられ、期待され、育まれてきました。人との温かいつながりが、今のあなたを支えているのです。その気持ちに感謝して、いつか恩返しができるよう、自らをより大きく豊かに育んでいきましょう。
       この夏休み、たくさんの経験を経て、皆さん一人一人がより強く優しくなれるよう期待しています。
     
    明日は、事務担当のS先生ですsad
    お楽しみに