下平さんの思い受け止めて生きたい
僕がこの平和学習を通して感じたことはやっぱり戦争はいけないということです。
戦争がなければ原爆が投下されることはなかったし、あんなにたくさんの死者が
出ることもなかった。たった一瞬の出来事で町や人がなくなってしまった。
そんなことをする戦争が許せません。また実際に被爆した下平さんのお話が心に
残りました。
気絶して目が覚めたら周りが死体だらけだったそうで、本当に怖かったと思う。
もし僕がその場にいたら自分も死にたいと思っただろう。下平さんはそう
いう思いを乗り越えて生きてきたからこそ、被爆の体験談を通して、今平和である
ことの大切さ、生きるということの大切さを伝えられるのだと思う。その思いをしっ
かりと受け止めて生きていきたいです。
永井隆記念館にて
永井隆博士
1945(昭和20)年8月9日午前11時2分、長崎市に落とされた原子爆弾に多くの市民とともに被爆し、
白血病と闘いながら被爆者への救護活動を続け、原爆に関する医学的な研究と多くの著作を残した。
僕がこの平和学習を通して感じたことはやっぱり戦争はいけないということです。
戦争がなければ原爆が投下されることはなかったし、あんなにたくさんの死者が
出ることもなかった。たった一瞬の出来事で町や人がなくなってしまった。
そんなことをする戦争が許せません。また実際に被爆した下平さんのお話が心に
残りました。
気絶して目が覚めたら周りが死体だらけだったそうで、本当に怖かったと思う。
もし僕がその場にいたら自分も死にたいと思っただろう。下平さんはそう
いう思いを乗り越えて生きてきたからこそ、被爆の体験談を通して、今平和である
ことの大切さ、生きるということの大切さを伝えられるのだと思う。その思いをしっ
かりと受け止めて生きていきたいです。
永井隆記念館にて
永井隆博士
1945(昭和20)年8月9日午前11時2分、長崎市に落とされた原子爆弾に多くの市民とともに被爆し、
白血病と闘いながら被爆者への救護活動を続け、原爆に関する医学的な研究と多くの著作を残した。