2013年8月

  • <題名> 「また、必ず会おう」と誰もが言った
    <作者> 喜多川 奏

    <あらすじ>
    ・  主人公・秋月和也は熊本県の高校生。小さなウソが原因で、単身ディズニーランドへといく羽目になった。不運にも飛行機の最終便に乗り遅れてしまう。所持金はたったの3、400円。途方にくれる和也に一人のおばさんが声をかける…。

    おすすめポイント
    *     たった5日の旅だけれど、いろんな人々との出会いから大きく成長していく主人公。そして、それを信じ「待って」いてくれる両親。人とのかかわりの大切さ、素直な心で他人の言葉を受け入れることの大切さを感じました。 
  • 原田衛星さんという方がいます。
    「神さまに会える鏡」(文芸社)という本を書かれている方です。

    とある縁がきっかけで知り合い、今回、本校のブログに、
    「心のサプリ」を掲載させていただくことになりました。
    なお、これは、保健室の「心の薬」の所にも置いてあります。

    今日は、その26回目。

    ★「赤い糸の答え合わせ」のお話 




    「僕と赤い糸でつながっている人は、今どこで何をしているんだろう」
    運命の赤い糸という存在を知った小学校3年生の僕はそんなことを考えていました。

    僕が今こうしてボーっとテレビを見ている時にも彼女は何をしているのだろう。
    きっと家のお手伝いをしているに違いないとか、
    家で飼っているチーズ犬の散歩をしているに違いないだとか。

    笑ってるのかな?
    泣いているのかな?
    そして僕たちは何年後にどこで出会うんだろう。

    神様はどんな出会いを演出してくれるのだろう?
    彼女に初めて会った瞬間、ビビッとくるのかな?
    そして僕は彼女になんて話しかけるのかな?

    まだ見ぬ運命の人の存在を考えると楽しくてしかたがないのです。

    今こうして離れ離れで暮らしている間でも、
    僕の小指と彼女の小指は一本の赤い糸でつながっているんだ。

    そんなことを考えているとなんだか心がホッコリと温まるのです。

    こんなロマンティックな(あぶない)思考グセを
    持っていた小学生男子が他にいたかどうかは分かりません。
    他にもいたかもしれません。

    でもそれを中学、高校、大学、社会人になってまで
    純真に考え続けていたのは僕だけかもしれません。

    そして、そんな変な青年と運命の赤い糸で繋がっていたのが愛する妻です。
    彼女にとってそれは幸か不幸かは僕には聞く勇気がありません。

    妻はぼくよりも8つ年下です。
    だから僕が赤い糸の存在を知ったころ、
    彼女はやっと言葉を覚えた頃だったに違いありません。
    運命の赤い糸の存在どころか、本物の赤い糸さえ見たことがなかったかもしれません。

    僕が高校生になって運命の赤い糸を早く手繰り寄せたいと「悶々」としていた頃、
    彼女は人生初めての恋をしていたのかもしれません。

    そして僕が社会人になって運命の赤い糸に「あせり」を覚えていた頃、
    彼女は受験勉強でそれどころではなかったかもしれません。

    今になって少年時代からずっと抱き続けてきた「運命の赤い糸」に対する
    答え合わせをしてみると、それはそれで大変面白いものです。

    結婚して5年が経ちました。
    そしてその間に二人の子供に恵まれました。
    最近すっかり生意気になってきた娘も、僕にとってはかけがえのない存在です。

    彼女の小さな手が僕の手を握り締めた時、
    その温もりはそこはかとない幸福感を僕に与えてくれるのです。

    まだ話すこともできない幼い息子も同様です。
    彼の大きな瞳が僕を見つめている時、そのまっすぐな眼差しは、僕が子供のころに
    父親に対して抱いていた一種の憧れのようなものを思い出させてくれます。

    そして自分の幼少期の温かい家庭に改めて感謝したりします。

    僕は少年時代からずっと1本の赤い糸を手繰り寄せてきたのです。
    そして1本の糸を手繰り寄せてみたところ、
    その人は僕を「夫」にしてくれ、
    そして「父親」にしてくれました。
    そうして僕に幸せを運んできてくれたのです。

    「運命の赤い糸でつながっている人は、今どこで何をしているんだろう」
    初めて運命の赤い糸という存在を知った
    小学校3年生の僕はそんなことを考えていました。
    そして今日もその人は僕の隣にいるのです。

    おしまい
  • <題名> 生きるヒント
    <作者> 五木 寛之

    <あらすじ>
    ・  悲しいではないか」かつて明治の青年たちは、顔を合わせるとこう挨拶したという。悲しみを知っている人間だけが、本当の喜びを知ることができる。日々の感情の起伏の中にこそ生きる事実がひそんでいる。


    おすすめポイント
    * 「歓ぶ」「悲しむ」等、生活に根付いたテーマを例え話や人物を例に挙げ、分かりやすく語っている。このメッセージ…読んでみて!
  • 原田衛星さんという方がいます。
    「神さまに会える鏡」(文芸社)という本を書かれている方です。

    とある縁がきっかけで知り合い、今回、本校のブログに、
    「心のサプリ」を掲載させていただくことになりました。
    なお、これは、保健室の「心の薬」の所にも置いてあります。

    今日は、その25回目。

    ★「昔のことは思い出せるのに、
    昨日のことが思い出せん」のお話




    記憶とは日々うとくなるものである。
    「日々うとく」と言っても、昨日のことでさえあやういものだ。
    昨夜の晩御飯のメニューさえ覚えていないことがある。

    家に帰った時から妻と交わした会話、
    洋服を着替えて食卓についたことまでの記憶をたどってみる。

    でも全く残念なことに、その後何を食したのかどうしてみても記憶に無い。
    こんなときは私のために精魂込めて料理を作ってくれた妻に
    申し訳がたたない気持ちで一杯になるものだ。

    94歳で亡くなった祖父が生前よく僕に語っていたフレーズがある。
    「昔のことは良く覚えているのに、昨日のことが思いだせん。」
    この言葉をいう祖父はいつもはにかんで笑っていた。

    ただ、「記憶」ではなく、「思い出」となると話は変わってくる。
    特に素敵な思い出であればあるほど、その映像は鮮明で、お気に入りの色の
    クレヨンや絵の具で描いたくらい色鮮やかに、脳裏に浮かんでくるものだ。

    時にはその時の香りまで思い出されることもある。
    ある匂いりを香る好きだった場所を思い出すかも知れない。
    ある匂いを香ると好きだった人を思い出すこともあるかもしれない。

    そのようにして様々な出来事を思い起こすと
    自分は「幸せな存在」であったこと自体を思い出すかも知れない。

    結局、人生とは「思い出」を積み重ねるだけの道のりなのだろう。
    いま楽しんでいたり、いま苦しんでいたり、
    人それぞれ悲喜こもごも「今」という瞬間を過ごしている。
    でも、結局は次の瞬間にそれらすべては「思い出」に変わっている。

    たった今あじわった喜びや悲しみまでもが、
    ふと我に返った時にはすでに「思い出」に変わっている。

    「今を生きよう」とか「今を大切にしなければ」と言ってみても、
    いずれそれは「思い出」という棚の中にそっとしまわれてしまう。

    それは人間の生にとっての虚しさ(むなしさ)や儚さ(はかなさ)を
    象徴するものであるかもしれないが、確かに言えるのは、
    引き出しの多い人生ほど濃厚で味わい深いものであるということだ。

    この引き出しが多い人ほど人生は楽しくなるのだろう。
    今日はこんな洋服を着てみようと違う引き出しから
    気分にあった洋服を出してみるように、いろんな思い出を収納している人は、
    それだけで人生を楽しめるのではないだろうか。

    若い人が生き急いで死を選択するのは、
    この引き出しが少ないために起こる悲劇かもしれない。

    もし彼や彼女に違った色の思い出の引き出しがあったなら、
    この先味わうであろう人生の行く末に希望や光が見えたのかもしれない。

    でも引き出しの中がからっぽであったから、
    空虚感にさいなまれ生き進んでゆく価値を見出すことができなかったのかもしれない。

    だから僕はここに思う。

    何かを恐れて何もしない人生よりも進むことを選ぼう。
    失敗して心を支配する敗北感や挫折感など
    すぐに思い出に変わってしまうことを知っているのだから。

    様々な感情は時間の経過と共に「思い出」という棚にそっとしまわれて、
    たくさんの引き出しを持った人が人生を楽しんでいるように思う。
    華々しい思い出も、砂をかむような思い出も等しく人生の味わいを深める要素に違いない。

    人生とは「思い出」を積み重ねるだけの道のり。
    でもその途方もなく虚しい人生の意味を知った時、
    一方では屈辱感や敗北感などの負の感情からも開放されることとなる。

    すべてが「思い出」に変わっていくのだ。




    おしまい
  • 原田衛星さんという方がいます。
    「神さまに会える鏡」(文芸社)という本を書かれている方です。

    とある縁がきっかけで知り合い、今回、本校のブログに、
    「心のサプリ」を掲載させていただくことになりました。
    なお、これは、保健室の「心の薬」の所にも置いてあります。

    今日は、その24回目。

    ★「25年ぶりの感謝状」のお話



    小学校の同窓会を行いました。なんと25年ぶり。
    人間の記憶とはすばらしいもので、
    昨日のことのように思い出せる数々の思い出がすでに25年以上の前のものとは。
    時間も記憶も「風化」というものを知りません。

    同窓会を行うこととなったキッカケは恩師との偶然の再会によるものでした。
    それも僕と先生が一緒に過ごしたあの小学校で。
    これも神様が用意してくれたイキな計らいでした。 

    25年ぶりに再会した仲間たち。
    さすがに同じ学び舎でともに過ごした仲間たちです。
    25年の時間の空白を埋めるには多くの言葉を必要とせず、
    顔と顔を見合わせるだけで、あっという間に打ち解けます。

    そして会場の雰囲気はあっという間にワキアイアイ。
    その中に身をおいているだけで癒される感覚が心地よかったです。

    小学校の時にはとても厳格な先生でしたが、
    今ではすっかり僕たちを温かく見守る母のようでもありました。

    先生は一人ひとりに話しかけ、ご自分で造られた「湯のみ」を全員にプレゼント。
    湯のみの表面には「祝再会」と記されていました。

    同窓会の最後に僕は「感謝状」と称して先生宛に書いた手紙を朗読。
    先生の瞳からは涙が。
    いやらしい話、これは「想定内」。

    でも何よりも驚いた「想定外」は
    40歳まえの男子たち(おやじたち)が一緒に泣いていたこと。

    その姿を見て「グッ」ときました。

    25年前と同じ無邪気な笑顔を見せているおやじたちも、
    25年という年月を経て大いなる優しさを身に着けていたのでした。

    時間の経過とは実に面白いものです。

    今日の「サプリ」は先生が涙し、おやじたちが涙した「感謝状」を掲載します。

    先生が僕たちに教えてくれた大切なこと。
    それはどういうことだったのでしょうか?  
     
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    僕たちが生きているこの世界では「奇跡」というものが平気な顔をして起きるものです。
    小学校を卒業してから数十年の間、「もう先生に会うことはなんだろうか?」と
    そんな疑問符が僕の頭を何度も掠めたことがあります。

    子供のころには分からなかったものが、日々成長していくにつれ、
    おぼろげながら見えてくるものがあります。
    世の中を知り、その厳しさを知り、そして自分の小ささを知り、
    人は成長の過程で自身への過大な自信やプライドを失っていく代わりに、
    他人へのやさしさや温かさを知っていきます。

    あの時、僕たち六年二組の小学生にとって、
    先生は厳しい師であり、厳格な母親でもありました。


    長谷先生との思い出については、今日ここにいる一人ひとりの胸に、
    残念ながらこの会場に来られなかった生徒の胸の中にも
    大切に保管されていることでしょう。

    頼りがいあるいつもパーフェクトな先生の姿を思い出すにつけ、
    今だに背筋がシャンとしますし、
    反面、時折見せてくれたドジでおっちょこちょいな先生の姿や失敗談を思い出すと、
    思わず微笑みたくなることもあります。

    ただ一つ、僕の胸の中にどうしても忘れられない事件があるのです。
    それは他の先生方が見学する授業でのことであったと記憶しています。
    長谷先生ご自身の授業ではなく、音楽の池田先生の授業でした。

    多くの先生方が教室の最後列で見守る池田先生の授業で、僕たちは怖気づいたのです。
    反応の悪い僕たち生徒のせいで、授業は思い通りの進行ができず、
    結果として池田先生の面子を潰すことになってしまったのでした。

    その授業のあと、長谷先生は僕たちを集めて怒った、怒った。
    ひとしきり僕たちに怒りをぶつけると、
    なんと先生の机の上にあった僕たちの日誌帳をガサッと床に落とし、
    その机に顔をうずめて泣き崩れたのです。そんな先生の姿を見たのは初めてでした。

    そしてそこまで感情をあらわにした大人の姿を見るのも、
    僕にとって初めての出来事で、大変驚き戸惑ったのを鮮明に記憶しています。
    僕はあの時の先生の姿を思い出すたびに、今だに胸が熱くなるのです。

    申し訳ないのですが、それは後悔の念や罪悪感というものではありません。
    先生の教育者としての真剣で真摯な姿勢にです。

    前述の通り、人は成長していく過程で、厳しい現実にぶつかり自信を失うことがあります。
    そしてその恐怖心から、自分の本当の考えや意志を捻じ曲げ、
    世の中との折り合いをつきて生きることを選択します。

    妥協していくのです。
    「しょうがないじゃん」と自分に言い聞かせながら。

    でも、あの時の先生は違ったのです。
    一切の妥協を許さず、真正面から僕たちにぶつかってきたのです。
    そしてこう言いました。
    「多くの先生達が見ていて緊張したかもしれない。でもあなた達にはできたはずだ!」と。

    僕はあの時、先生が僕たちに期待を寄せていてくれていたこと、
    信じてくれていたことを知ったのです。
    そしてその根底にはそこはかとない愛情があったことも。

    そんな深い思いも交錯し、大人になってから
    先生のあの時の姿を思い出す機会が増えました。

    先生に会って、あの時僕が感じたことを伝えたい。

    でも先生の連絡先も知らないし、もうお会いできることはないだろうと思っていました。
    でも、「奇跡」が起きたのです。

    子供が生まれたことを機に、冨塚のアパートから地元に帰ってきました。
    そしてとある選挙の投票で、久しぶりに母校の小学校の体育館を訪れた時、
    あなたは何も変わらぬあの時のままの姿でそこにいたのです。

    ※注釈  先生は数年前にこの地に引っ越してきており、
    ちょうどその時、先生も同じく選挙投票に来ていたのでした。
      
    ほんの数分の作業が偶然同じ時間に重なり、再会を果たしたのでした。
    あなたの姿を拝見したとき、一瞬20数年のときの経過を忘れそうになりました。
    ただ、左腕に抱えている娘の重みだけが
    現在と自分をかろうじてつないでくれているようでもありました。

    先生との再会がまさか、母校で起こるとは。
    「奇跡」とは実にオシャレなものです。
    そしてその「奇跡」のおかげで僕たちは今日ここに再び集結できたのです。

    小学校を卒業してから四半世紀が経過しています。
    中学の国語で習った「光陰矢のごとし」という言葉。
    あの時には理解できなかった言葉を今、体で実感しています。

    あっという間の出来事でしたが、思えば様々なことも経験してきました。
    ここにいる全ての人々の四半世紀の時の経過に一つ一つの大きな価値があります。
    そしてその一つ一つの価値ある人生が、また今日ここに集まったことに価値があります。

    非常にシンプルな言葉ですが、共に学んだ仲間って素晴らしい!
    そしてその場をいつもその優しさと深い愛情によって
    包み込んでくれた長谷先生も素晴らしい!

    僕たち六年二組の生徒全員の声であなたに感謝の気持ちを伝えたい。

    先生、本当にありがとう!
    あなたの生徒であることに誇りを持って生きていきます!

    奇跡の再会のとき、僕の左腕で抱きかかえていた娘は三歳です。
    彼女がこれから成長していく過程で、父親が出会った長谷先生のような
    素敵な師に出会うことを、親として切に願うばかりです。

    そして僕たちも今年で39歳。
    六年二組を受け持っていた頃の先生と同じくらいの年齢になりました。
    僕もあの頃の先生の様に、情熱と深い愛もって、人に愛される大人になりたいと思います。

    これからも宜しくご指導のほどお願い申し上げます。
    そしてくれぐれもお体ご自愛くださいませ。

    平成23年7月16日


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  • <題名> GO!
    <作者> 金城 一紀

    <あらすじ>
    ・ 「これはオヤジでもなくオフクロでもなく、僕の物語だ。」都内の市立高校に通う在日コリアンである主人公「僕」は、友人の誕生日パーティーで一人の女の子に出会って恋におちた。そして…。

    おすすめポイント
    * メッセージが強く、考えさせられるところがあるが、非常にテンポが良くあっという間に読み終えてしまう。とても読みやすく、エネルギッシュな本。
  • 原田衛星さんという方がいます。
    「神さまに会える鏡」(文芸社)という本を書かれている方です。

    とある縁がきっかけで知り合い、今回、本校のブログに、
    「心のサプリ」を掲載させていただくことになりました。
    なお、これは、保健室の「心の薬」の所にも置いてあります。

    今日は、その23回目。

    ★「ベルボーイの遠い夢」のお話



    ベトナムで宿泊するいつものホテルで、いつものベルボーイが僕を迎えた。
    そしていつもの決まった日本語の台詞で僕のスーツケースを運んでくれた。
    「おかえりなさい、お元気ですか?」
    相変わらず上手になっていない発音で矢継ぎ早に僕に話しかけてくる。

    「今回はベトナムの他はどちらの国を訪問するのですか?」
    「お仕事は順調ですか?」
    「お体はよろしいですか?」

    インドネシア⇒マレーシア⇒ベトナムと旅してきた上の夜の到着で、
    僕の体は正直疲れきっている。
    下手な日本語でずっと話してくる彼が時々うっとうしくも思えることがある。

    でも今回は一人旅であることも手伝ってか珍しく彼と話してみようと思った。

    僕の得意のイタズラ心もあり、大げさな態度で彼に話しかけた。
    「相変わらず日本語上手だねえ。どうやって勉強してるの?」

    早くしゃべると理解できないので、ゆっくり話してもまだ分かっていないみたいだった。
    今度は更にゆっくりと英語で聞いてみた。
    やっと僕の質問が理解できたようで、いつもの満面の笑顔で答えてくれた。

    日本語と英語のミックスでの変な会話の中から、彼の背景が見え始めた。
    貧しい家庭(母子家庭)で育った彼は高校を卒業後、
    このホテルのベルボーイとして働き始めた。
    通常勤務では雇ってくれなかったので、夜の勤務になったのだという。
    いずれ自分で何かしらのビジネスを始めるために、先ずは英語の勉強を開始した。

    何とか英語が形になりどうにか日常業務が安定し始めた頃、
    子供の頃から憧れを持っていた日本に対しての思いが膨らんできた。
    そこで彼は日本語を勉強しようと決心したのだ。

    日本との接点は何も無かったと言う。

    日本人の友達がいるわけでもなく、
    ただ漠然とテレビや映画で目にする日本、
    高品質を有する電化製品や自動車の製造国である日本、
    それらに親近感を覚えたのだろう。

    それでも彼は目を輝かせながら僕に言った。
    「日本は美しい」

    この言葉を聴いて僕は心を打たれた。

    そして思い切り日本人の代表としてお礼が言いたかった。

    僕の故郷、日本を「美しい」だなんて・・。

    ありがとう。うれしくて涙がでそうになった。


    彼は日本人の先生を探したのだと言う。
    学校に通うには時間もお金も無く、
    なんとかして安い料金で日本語を学べる環境をつくりたかった。
    そして行き着いたのが今の先生なのだとか。(日本人だと言っていた)

    月謝を聞いたら確かに安い。1ヶ月=800円弱だそうだ。
    この国での相場が分からないが、彼が安いと言っていたからそうなのであろう。
    僕はその日本人の先生にたまらなくお礼が言いたくなった。

    「あなたのような日本人がいて誇りに思います。
    どうかこの青年に素敵な日本を教えてあげてください。
    そして少しでも彼の日本語が上手になりますように。」

    1ヶ月800円ポッキリで彼に日本語を教えるだなんて
    どれだけ骨の折れる作業であろうか。

    「いつの日か日本で会えるといいね」
    僕は言った。
    彼は一瞬だけ恥ずかしそうにうつむいたかと思うと
    すぐに顔を上げて微笑みながらこう言った。

    「いつの日か必ず「美しい日本」に行けるといいね。
    でも僕の国はまだ貧しいから海外にいける人は少ないよ」

    ベトナムは急速に経済が発展しているが、
    それでもまだまだ貧しい人はたくさんいる。

    一見悲しげなこの言葉をこの輝いた笑顔で言えるのは何故だろう?
    そしてその言葉の奥底に秘めるものはなんだろう?
    夢や希望なのかそれとも絶望感なのか。

    きっと日本で生まれ育った僕には
    彼の心の中までは理解できないことだろう。

    翌日ミーティングを終え、空港でバンコク向けの飛行機に乗る準備をしていた。
    荷物検査の列に並び、パソコンをバックから取り出しながら、
    僕は昨夜の彼の言葉を思い出していた。

    「いつの日か「美しい日本」に行けるといいね。」

    彼はこの先、一生この荷物検査の列に並ぶことはないのかもしれない。
    いや、空港に来ることさえもないのかもしれない。
    テレビや映画で見る日本を「美しい国」だと信じて生涯を終えていくのかもしれない。
    本物の日本を目にすることもなく。

    僕はこの列に並ぶことができて光栄だ。
    仕事だからとか、家族と離れ離れだとか、いろんな言い訳をしながら
    疲れた体に鞭打って一人苦労を背負っている風に装ってはいるが、
    本当に幸せなことなんだ。

    そう、世界中の中でこの列に並べるのは一握りの人たちしかいないのだから。

    僕は心から日本に生まれたことに感謝した。
    日本人でいられることを誇りに思えた。
    そして、もし彼がいつの日か本物の日本を目にしたとき、
    彼の胸に抱く「美しい日本」が彼の想像以上のものであることを心から願っている。

    僕はそんな気持ちでここベトナムから遠い日本を眺めていた。



     おしまい
  • <題名> 大切なきみ
    <作者> マックス・ルケード

    <あらすじ>
    ・  木でできた小人の村で、けなしたい小人に貼られるだめじるしシール。パンチネロもそんなシールを貼られたひとりだった。そんな時、どちらのシールも貼られていない不思議な小人ルシアに出会う。すべてのパンチネロに贈る心を癒すメッセージ

    おすすめポイント
    * 焦って上手くいかなかったり、他人の評価に振り回されてしまったり…。本当に大切な事は何なのか?? それを発見できる本。目からうろこです
  • 原田衛星さんという方がいます。
    「神さまに会える鏡」(文芸社)という本を書かれている方です。

    とある縁がきっかけで知り合い、今回、本校のブログに、
    「心のサプリ」を掲載させていただくことになりました。
    なお、これは、保健室の「心の薬」の所にも置いてあります。

    今日は、その22回目。

    ★「ありがとうの靴」のお話


    「ねえ、完全に道に迷ってしまったみたいだよ」
    ヤマトは今にも泣き出しそうなか弱い声で話しかけた。

    「ああ、そうだったのかい。
    どうもあっちへいってはグルグル、
    こっちにいってはグルグル歩いているから変だと思ってたんじゃよ。」
    ジョンは納得のいった様子で答えた。

    ヤマトは夏休みを利用してママの実家のとある田舎町を訪れていた。
    そこでおじいちゃんのお気に入りの犬(ジョン)と二人で散歩に出かけていたのだった。

    二人といっても小さな男の子ヤマトと老犬のジョン。
    ヤマトは動物とお話ができる不思議な男の子。
    でも彼はその特異な能力について誰にも話したことがない。
    大好きなママにさえも。
    なぜならヤマトは誰もが動物とお話できるものだと思っているから。

    「ねえ、ジョン。
    おじいちゃんのお家に戻るまでどれくらい歩かなければならないの?」
    「そうだなあ、子供の足で40分程度だな。」
    「40分!?僕はもうだめだよ。これ以上歩けないもん。」
    ヤマトは地べたに座り込んでしまった。

    これまで1時間は歩いたと思われる。
    散歩に出かける際に、
    「一人で大丈夫だ」と
    散歩についてこようとしたママとおじいちゃんを
    威勢よく振り切って出てきた手前、
    道に迷ったとなかなか言い出すことができなかったのだ。

    「ああ、ママに会いたい。ママに会いたい。」
    先ほどまでの威勢はどこへやら、
    ヤマトは見知らぬ土地で迷ったことですっかり弱気になってしまった。 

    それを傍らで聞いていた老犬ジョンはヤマトに提案した。
    「ヤマト、これからわしがお家へ連れ帰ってあげよう。
    ママにも会うことができる。
    だがな、わしはもう年老いておるからお前さんを背負っていくわけにはいかん。
    自分の足で歩いて帰るのじゃ。」

    するとヤマトが更にか弱い声で言った。
    「ジョン、もう僕は歩けないよ。足が痛くて仕方がないんだ。」

    それを聞いた老犬ジョンは、ヤマトのほほを2回優しくなめるとこう言った。
    「ほら、一度立ってごらん。
    特別な方法を教えてあげよう。名づけて「ワン・ツー歩き」じゃ。」

    「ワン・ツー歩き?」
    ヤマトは少し身を乗り出した。

    「そうじゃ。
    左足が前に出したら「ワン」と叫ぶ、そして次に右足が前にでたら「ツー」と叫ぶ。
    左足は「ワン」、右足は「ツー」だよ。
    間違えちゃだめだよ。さあ、わしの後をついてきてごらん。」

    ヤマトはジョンの言うとおりに立ち上がった。
    「そうだ、ヤマトに言い忘れたことがある。
    この「ワン、ツー歩き」はわしら犬にはできないんじゃよ。
    わしらは犬だから「ワン」しか言えないのだ。」

    ヤマトは思わず吹き出した。
    すこし疲れが飛んでいった気がした。
    これなら少し歩けるかもしれないと思った。

    二人は歩き出した。
    少し前をジョンが先導して歩き、ヤマトはその尻尾を追いかけた。
    左足が前に出るときに「ワン」、右足が前に出るときに「ツー」と叫んだ。

    「ワン、ツー。ワン、ツー。」
    ヤマトの声が小気味よく木々の間をこだまし、彼の両足は軽快に歩み始めた。

    しかしヤマトは幼い子供である。
    数十分ほど歩くといよいよ息が切れ始めた。
    そして立ち止まった。

    それに気づいたジョンは振り返り、話しかけた。
    「どうしたヤマト。「ワン、ツー」じゃよ。」
    ヤマトは先ほどのように、また地べたに座り込んでしまった。

    「もうこれ以上歩けないよ。ああ、ママに会いたい。ママに会いたい。」
    老犬ジョンは、ヤマトに近づくと、彼のほほをまた2回優しくなめるとこう言った。
    「よし、いよいよとっておきのやつを教えるときがやってきた。」

    「とっておきのやつって何?」
    「ありがとうの靴じゃよ!」
    「ありがとうの靴!?」
    ヤマトは再び身を乗り出した。

    「いいかいヤマト、ちょっと考えてみようじゃないか。
    実は今ここには、君とわしの二人以外にもう一人の重要な人物がいる。
    それは君がはいている靴なんじゃよ。
    今日君がここまで散歩できたのはそのくつのおかげじゃないかい?
    こんな初めての慣れない土地でヤマトを信じて、
    散歩に付き合ってくれているその靴は、
    君にとって大切な友人なんじゃないのかい?」

    ヤマトはじっと自分の靴を眺めた。
    ママに買ってもらったときは
    ピッカピカだったくつも気がつけば随分と汚れていた。
    毎日いっしょにいるのに
    こんなにもじっと眺めるのは初めてだということに気がついた。

    老犬ジョンは話を続けた。
    「ヤマトの体重すべてをその靴は毎日支えてくれているんじゃよ。
    それは実に大変な仕事なんじゃよ。
    でもひとことも文句を言わないのは
    ヤマトのことを大切に思っているからなんだ。
    そんな大切な友人に
    君は一度でも「ありがとう」ってお礼をいったことがあるだろうか?」

    ヤマトは動物とお話はするものの、
    自分のくつには一度も語りかけたこともなかった。

    そういえば春の遠足で砂浜を歩いた時だって、
    運動会で一等賞を取った時だって、
    はいていたのはこの靴だったのだ。

    毎日自分と行動を共にしてくれる両足のくつに愛着がわいてきた。

    「さあ、ヤマト立ち上がるんだ。
    そして今から一つ一つ歩みを進めるたびに、
    君の両足の靴にむかって「ありがとう」ってお礼を言うんだよ。

    そしてもうひとつ「ある秘密」を教えておこう。
    わしらの言い伝えでは「ありがとう」の言葉が1,000回を超えた時、
    その人の願い事がかなうのじゃそうじゃ。」

    意を決したヤマトは歩み始めた。
    一歩そして一歩。
    そして彼は靴が大地を踏みしめるたびに「ありがとう」と声を出した。

    右足、左足そして右足、左足・・・
    「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・」

    彼の靴がじゅうたんのように柔らかい芝生を踏みしめているときも
    「ありがとう」

    彼の靴が道とはいえない草むらのしげみを踏み分けているときも
    「ありがとう」

    彼の靴がゴツゴツした石の上を踏みしめているときも
    「ありがとう」

    徐々にヤマトの声は大きくなっていった。
    「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・」

    その声にともなって疲れきっていた彼の体に、
    不思議なくらい元気が沸いてくるのだった。

    そうか「ありがとうの靴」が僕に勇気を与えてくれているんだ!

    するとその時、遠くからかすかな声が聞こえてきた。
    「ヤマト!ヤマト!」

    「ママだ!」

    ヤマトは声のするほうへ走り出した。
    ママはヤマトの姿をみつけるとすぐに両腕を大きく広げ、彼を迎入れた。

    「帰るのが遅いから心配して探しにきたのよ。一人きりで大丈夫だった?」
    ヤマトはママの腕のなかで安心して泣き出しそうになった。

    でも、自分は一人きりではなかったことを思い出していた。

    老犬ジョン。
    そしてこの「ありがとうの靴」。

    ジョンがママのもとに駆け寄ってきた。
    「あら、ジョンお疲れ様。ヤマトの子守は大変だったでしょ?」

    ジョンは尻尾を大きく振りながらヤマトのほっぺを何度も舐めた。
    そして彼の耳元でささやいた。

    「おめでとう、1000回目のありがとうで君の願いが叶ったぞ!」



    おしまい
  • <題名> あしながおじさん
    <作者> Jウェブスター

    <あらすじ>
    ・  お茶目で愛すべき孤児ジルーシャ(ジュディ)に突然訪れた幸福。月に一回手紙を書く約束で、彼女を大学に入れてくれるという紳士が現れたのだ

    おすすめポイント
    *     書簡集ですが、そこから学校生活やジュディの心情の変化が手に取るように伝わってきます。生活の中に、ささやかな喜びを見出していくことの大切さを感じました。最後はまさに急展開です